快適な明日のために ブッタの教え「人間関係」編

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快適な明日のために ブッタの教え「人間関係」編

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はじめに

一般的には釈迦のことをブッタと呼びますが、仏教では悟りを得ることをブッタと呼ぶそうです。

ここではブッタはゴータマ・シッダールタという仏教の創始者のことを指し、ブッタの言葉をより分かりやすく、簡潔にまとめてみました。

あなたの快適な明日のために何か一つでもお役にたつものがあれば幸いです。

今回は「人間関係」編です。

人間の悩みは4つに分類できる

人間の悩みは、大きく分けて「お金や仕事」「人間関係」「健康」「夢や目標」の4つに分かれます。

常にお金に悩みのある人は、お金について無知で不得手です。

常に人間関係について悩みのある人は、人間関係について無知で不得手です。

常に健康に悩みのある人は、考え方や生活習慣に何らかの問題があります。

夢や目標が見つけられない人は、自分自身について無知です。

ブッタの教えを知ることで、あなたの明日が快適でご機嫌に過ごせるようになれば幸いです。

「負の感情編」をご覧になりたい方はこちら⇒

人間関係がうまくいく方法

1 他人に振り回されない

私たちは気づかないうちにパートナーや子供、会社やお金、ペットなどを依存しよりどころにして過ごしていたりします。

他人に振り回されないためには、自らをよりどころにしなさいとブッタは言っています。

自分以外のものに依存していることに気が付かないまま「不安だ、怖い」「何をしてもうまくいかない」と嘆いているのです。

「自分が頼りになる自分をつくりあげる」これが基本的な仏教の考えです。

また仏教用語に「自由」という言葉がありますが、ご存じのように「自分に由(よ)る」と書きます。自分をよりどころとするのがまさに「自由」という言葉なのです。

その「自由」をしっかりと確率していくことが大切です。

2 他人に与えられる人になる

有効な人間関係が築けないという人は、他人から奪う事ばかりを考えていて、与えることをしていません。

例えば会社の人間関係がうまくいかない人の場合、自分が周りに何を与えているかを考えず、休みが少ない、給料が安いなどほしがっているケースが少なくありません。

夫婦間においても同様で、自分が相手に何も与えていないのに、一方的に何かを求めるだけではやがて二人の関係性は崩れます。

具体的にどうすればよいか?それは慈悲の心を持つことです。

仏教用語にある「世の中のすべてのものに対し差別をやめ、生きとし生けるものがみんな幸せであれ」という気持ちを常に育んでいる人は、他社とのトラブルを起こす可能性が低くなります。

出会うすべての人に「幸せであれ」と思い、周りに善き言葉を与えられる人になると人間関係は格段とよくなるでしょう。

3 付き合う人や仲間を選ぶ

ブッタは「悪友でなく、善友と交わりなさい」と繰り返し言っています。

これは自分と気の合う人とだけ付き合えと言っているわけではありません。

善友のふりをした悪友もたくさんいます。

本当に自分の事を思って諭してくれる人、善い方向へ導いてくれる人、ためになる事を教えてくれる人、そういった善友と付き合うようにしましょう。

自分に良い影響を与えてくれる善友かどうか人を見極める目を鍛えましょう。

4 「悪友」を見極めて遠ざける

ブッタは「悪友」の中でも「次の四種類の人は敵であって、真の友ではないと知るべきである」と述べ「危険な道を避けるように、敵を遠く避けなさい」と教えています。

〇何ものでも取っていく人

・人にはわずかしか与えないのに、受け取るときはできるだけ多くを得ようとする人

・自分の利益のみを追求する人

〇言葉だけの人

・「あの時、ああしてあげた」と過去の事に恩を着せて友情を装う人

・「今度こうしてあげるから」と、未来のことに関して友情を装う人

・成すべきことが迫ってくると、「都合が悪い」と言い出す人

〇口当たりのよい言葉を語る人

・目の前ではお世辞を言い、裏では陰口をたたく人

・うわべだけのうまい言葉を語り、中身が伴っていない人

〇ギャンブル、お酒などに溺れる仲間

・飲酒、ギャンブルに明け暮れている人

悪友かどうかの見極め方は実にシンプルです。その人の言葉ではなく、行為や成したことを見ればいいのです。

口先だけで行為が伴わない人、自分のメリットのためにしか行動しない人、道徳的でない人は近づけない方が賢明です。

5 「善友」を見極めて交わる

ブッタは次の四種類の友人は心のこもった友であると知るべきと具体的に言及しています。

〇助けてくれる人

・元気がない時に守ってくれる人

・正常な判断ができなきなった時に、正しい行動に向かわせる人

〇苦しい時も楽しい時も一様である人

・窮地に陥っているときも見捨てず、辛い時も一緒にいてくれる人

〇自分のためを思って話してくれる人

・悪い道に入らないように忠告してくれ、大切な情報を教えてくれる人

〇同情してくれる人

・上り調子の時は一緒に喜んでくれ、落ち目になったら心配してくれる人

・人から悪口を言われたときに、弁護してくれる人

これらの人を「親友」とし真心をもって交流しなさいとブッタは説いています。

これらの人々は全て、聡明で知識もあり、自分の間違いを正し、客観的、俯瞰的に物事を見られる巧みな人です。

また非常に優れた道徳心をもつ人格者でもあります。

人間関係がうまくいかない時は、自分の狭い見識や思い込みにとらわれて、知らず知らずのうちに他人に嫌われるような事をしているケースが少なくありません。

そんなときは、周りにいる人間関係がうまくいっている人に目を向けてみてください。

その人たちにとって自分自身が「交わるべき善友」になるよう学ぶことです。

自分に良い影響を与えてくれる人こそが「親友」です。

6 人に執着して苦しまない

ブッタは「自分の思い通りにならないもの」に対して自分が思うようにコントロールしたいと思い、執着することを、あらゆる苦しみの根源とみなしています。

子どもも財産も「自分の所有物」だと思い込んで執着し、さらには自分でコントロールしたいと考えてしまいがちですが、それはとても愚かな事です。

なぜならすべては変わりゆくからです(諸行無常)。

形あるものは崩れ、子や配偶者、友人にしても誰しもみな自分の意志があるので、こちらの思い通りになるわけはないのです。

7 的外れな非難や悪口は受け取らない

ブッタは迷いや苦しみから逃れる方法のひとつに「耐え忍ぶこと」を挙げています。

これは「我慢すること」ではなく、自分や他人の感情に、過剰に反応して振り回されるのではなく、その非難中傷が生まれた理由を冷静に観察し、見極めるために「耐え忍ぶ」ということです。

SNSのある現代では、よく話したこともない人や、会ったこともない人からいわれのない非難中傷を受けやすいですが、気にしない事です。

ただし、非難中傷を言われる原因が自分にある場合は別です。すぐに反省し改める必要があります。

心に検問所を設けて、この非難中傷は理不尽なものと判断したら受け流しましょう。

8 耳が痛い事をいう人を大切にする

多くの人は耳が痛い指摘や忠告をされると、全否定されたように感じ反発しがちです。

それは愚かな事をしている自分に気づいていないのはもちろん、耳当たりのいい事を言ってくる「善友のふりをした悪友」を大事にしていることになります。

「気が合うから」で付き合っている人は必ずしも善友とは限りません。

自分の事を思って話してくれる人や、怒ってくれる人、自分が悪い道に入らないように忠告してくれたり、重要な情報を教えてくれる人は、非常に貴重な存在です。

どんなに耳が痛い事だとしても、それが自分のことを思って言ってくれているのだとわかったら、その人のことは大切にしましょう。

9 自分に集中して他人を気にしない

自分のことを棚に上げ、他人を非難してくる人は少なくありません。

特にSNSで他人のアラ探しをして叩いている人は急増していると感じます。

いつも他人を批判し悪口をいっている人は、自分が満たされていないのでしょう。

自分が満たされていて、やりたいことに夢中になっている人は、他人を中傷している暇などないからです。

ブッタは「他人に気を取られ、自分をおろそかにする」ことを戒めています。

つまり他人の評価を気にせず、常に自分の心の状態を省みることが大切なのです。

周囲の評価は状況や環境で二転三転します。それなのに周囲の評価に振り回されて自分を見失いがちです。

人の事をとやかく言うのではなく、自分の事を冷静に観察する必要があります。

他者との比較から生じる妬みや劣等感から解放されることで、自ずと悪口も減り、悪友も遠ざけられるでしょう。

10 SNSに振り回されない

ブッタの言葉に「罵ることのない我々をそなたは罵った。怒ることのない我々を怒った。争論することのない我々に争論をしかけた。しかし我々はそれを受け取らない。」というものがあります。

SNSの社会になり、誹謗中傷な書き込みに振り回されたり、自分の投稿に何も書き込まれないことに振り回されたりしてはいないでしょうか。

SNSはとても便利なものですが、使い方次第で毒にも薬にもなります。

心を乱されることなく、適切な距離を持ち誹謗中傷も巧みにかわしましょう。

11 不用意な発言をしない

「最上の善い言葉を語れ。これが第一である」とブッタはいいます。

「正しい理を語れ、道理に反することを語るな、これが第二である」

「好ましい言葉を語れ。好ましくない言葉を語るな。これが第三である」

「真実を語れ、偽りを語るな。これが第四である」

一度口に出てしまった言葉を取り消すのは難しい事です。

普段から以上の四つの教えに気を付けることで、不要な争いからも身を守れます。

12 人を表面的な部分だけで判断しない

「人を見た目で判断しない」と幼少期に教わりますが、実際は表面的な部分だけで物事や人を判断しがちです。

「人は見た目が9割」と一時期よく言われましたが、それは表面的な部分だけで判断する人が世の中に多い事を表しています。

この世はキツネとタヌキの化かし合いが常です。

本質を見極めず、人や物事の表面だけを見て判断を見誤ってしまったこともあったのではないでしょうか。

自分自身にもいえることです。うわべばかり気にして、内面が疎かになっていないでしょうか。

いくら着飾っていても、内面が伴わなければむなしいだけです。

13 死を意識しながら生きる

仕事が楽しくない、迷っている事がある、家族や友人といがみ合っている、、、これらは明日が確実にくるかのように思い振る舞っています。

近いうちに自分が死んでしまうと思っていない人がほとんどだからです。

「自分はもうすぐ死ぬ」と常に思っていれば、「今日はこれをしよう、次はこれをしよう」と優先順位がわかってきます。

会社、家族、迷いごとに対しても、明日死んでしまうとなればどうすればよいか自ずと答えがでるでしょう。

自分の進むべき道が見えてくるので、普段から死を意識するのは悪い事ではありません。

「われらはここにあって死ぬはずのものである、と覚悟しよう。このことわりを他の人は知っていない。このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。」

14 年老いた親の面倒をみる

「自らはゆたかで楽に暮らしているのに、年老いて衰えた母や父を養わない人がいる。これは破滅への門である」

自分が世話になった人に感謝の気持ちをもてない人がいます。

特に苦労して育ててくれた親の面倒をみない人は、自分が年をとったときに同じ仕打ちをうけるでしょう。子どもは親を見て育つからです。

自分を育ててくれた親に、できる限り恩返しをし、最後はきちんと送りましょう。